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  • ycgogo

町のランジェリーショップ


今回もまたYが話します。私が高校卒業まで暮らしていた町は田舎の小さな町でした。でも、そんな街の中に不似合いな感じでランジェリーショップが1軒ありました。また、隣の町は少し大きな町で商店街なども規模が大きかったですが、記憶している限り数軒のランジェリーショップがありました。

当時としては、町にあるのはもっぱら洋品店で、ランジェリーショップは珍しかったのですが、それだけのニーズが当時あったのかどうかもわかりませんが存在していました。

私の町にあったランジェリーショップは当時はショーウインドーにスリップを着たマネキン

が数体いつも飾られていました。まだ、スリップが当たり前に着られていた時代でしたのでそれも当然なのでしょうけど、カラフルなデザインの物がいつも飾られていました。当時は中学生や高校生は圧倒的に白いスリップを着ていましたので、カラフルなスリップは大人の女性の物だったのでしょうけど、でも当時としてもどれくらい大人の女性の中でもカラフルなスリップを着た人がいたのかはわかりません(私の母は白以外にブルーを1枚持っていたくらいで、従姉妹のお姉さんは白のスリップだけでしたのでよくわかりません)。

いつから、そういう店があったのか自分の記憶が定かではありませんが、中学時代に自分が母のスリップを意識しはじめた頃にはあったのを記憶しています。


その店を意識した時はドキドキして憧れのような感じがすごく高まったのを覚えています。なんというか、こんな綺麗なのを着た人を見てみたいという気持ちとこんな綺麗なのを着てみたいという気持ちでした。でも、まじまじとショーウインドーを見るわけにもいきません。そのため、前をチラッと見ながら通り過ぎて行くくらいしかできません。用もないのにその前をチラッと見ながら行ったり来たりしていたわけですからどう見ても不自然だったと思います。そうこうしているうちに、その店の前に電話ボックスがあるのに気がつきま

した。それからは電話ボックスに入り電話をかけるふりをしながら堂々とショーウィンドウを見るという行為を行いました。今思えば馬鹿のような行為です。夏は暑く、冬は寒い中そんな事をよくしていたものです。時々女性がお客さんとして入っていくのをみると妄想が頭の中を駆け巡ります。ある日、女性が一人店に入って少しする

と店員の人がショーウィンドウのマネキンから綺麗なピンクのスリップを脱がして店の中に持って行くのがわかりました。暫くしてその女性が袋を持って出て行きました。「さっき店員の人が持って行ったピンクのスリップをこの人が買ったんだ」そう思ったらもう頭の中は、その女性がさっきのピンクのスリップを着た姿が想像されたまらなくなりました。

そんなことを続けていましたが、そういうことを繰り返しているとやはり欲求不満が高まってきます。外からショーウインドウをみているだけでは満足できなくなります。しかし、だからといって店に入ることももままならず、悶々とした気持ちは大きくなるばかりです。小さな町のことですから、もしそんなことをすればあっという間に町中の噂になってしまうんではないかという



それまで、目にしたのは母の白いスリップと薄いブルーのスリップだけです。それ意外はこうした店のショーウインドーなどに限りますが、それにしてもそんなに多くの機会があったわけではありません。実際に世の中の女性のどれくらいの方がピンクのスリップを着ていたかはわかりません。

その後、私のなかでは、ピンクのスリップという言葉が段々と大きなものになっていきました。

また、ピンクといっても色々な色のピンクがあり、これもまた自分のイメージするピンクの色というのにもなかなかおめにかかることはできません。色々なあこがれがある中でピンクという色とその響きは何か特別な意味を持ちます。やはりピンクは女性の特権というか女性らしさの一つのような気がします。

実際にピンクのスリップに手にすることになるには、まだまだ時がかかりました。





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4 Comments


追伸です。

私が初めてピンクのスリップを手に入れたのは、18才の頃です。

相手は義理の叔母でした。

またいつか良ければ、そのことを話したいと思います。

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ありがとうございます。その話しも聞かせてください。

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Yさま、よくわかります。

私は小学校6年の時の帰り道、駅前の商店街を通って帰っていたのですが、そこにランジェリーショップがありました。

店頭に大きなワゴンが置いてあり、そこにバーゲン用のスリップが山積みになっていました。

値段までは覚えていませんが、オバサマたちに搔き回されグシャグシャになったスリップ達は、まるで奴隷市場のようでした。 

毎日それを片目で見ながら、どうすることも出来ずモンモンとしていました。

色はすべて白だったと思います。

その頃は男も女も下着は白が当然の時代だったのでしょう。

大阪万博の前年ですから、1969年の事です。

私が初めて色の付いたスリップを見たのは、中学に入ってからでした。

母がイエローのラウンドスリップを買ってきた時です。

そして高校生の頃、近所の物干し場にピンクのスリップが干してありました。

そこの奥さんは30才位の若いキレイな人でした。

私は夜にコッソリとそこに近づき手に取って見ました。

母のスリップでは考えられない位、美しいスリップでした。

よほど盗んでしまおうかと思いましたが、ごく近所の奥さんです。

とても出来ませんでた。

良心が痛むと言うより、バレるのが怖かったのです。

もし近所でなければ、盗んでいたでしょう。

その後も何度かそのスリップを見かけましたが、半年後には見なくなりました。

捨てられたのかと思うと、心が痛みました。


万博で思い出しましたが、大阪万博を記念して、大阪城公園にタイムカプセルが埋めてあるのですが、そこにワコールのスリップとナイロンパンティが入っているのです。(これはホームページにも載っています)

掘り出すのは3000年後だそうですが、その頃人類は生き残っているでしょうか?


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ありがとうございます。興味深いお話しですね。似たような感性、似たような経験ですね。3000年後の人がスリップをみたらどう思うんでしょうね。

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