今回もYが話します。
これまでも、何度か私がスリップが好きになったきっかけや、思春期の色々な気持ち行動などについて話して来ました。若い頃のそういったギラギラした感情によるものはまだしも、随分歳がいった今でも、それが消えないのはなぜかわかりません。
でも、いくつになっても初めてスリップを意識した瞬間は忘れません。
以前も書きましたが、初めて母のスリップを着てみたのは幼稚園の頃でした。とにかくテレビで見た映像に刺激をされて自分も着てみようと思ったわけです。それ以上の感情もなく、なんとなく着てみたと言う気持ちでした。でも、妙なゾクゾクした感じがあったのを覚えています。それから、小学校、中学校などで女子のスリップを意識する瞬間、母のスリップを意識する瞬間がありました。それは多分、他の男の子も同じような物であったと思います。
中学2年くらいだったと思います、街を歩いていて突然女性の背中に透けて見えるストラップの4本線がすごく気になるようになりました。突然と言う感じです。当時の女性はレースが背中にもあしらわれたスリップを着ている人も多かったと思いますが、自分にとってはそのレースよりも4本線(ブラスリップの場合は2本線でしたが)が気になっていました。それは、「この人はスリップを着ているんだ」と言うことを確認しているかのような事だったと思います。変な子に見えたでしょうね。歩くたびに振り返って女性の背中を確認しているわけですから。
そして、中学2年の夏です、母の洗濯物のスリップを着てみました。この時もなぜそう言う行動をしたのかわかりません。しかし、幼い時に着てみた時との違いは、この時は明らかにスリップを意識してそこにあることに我慢ができずに着てみようという衝動に駆られたことです。幼い頃は着てみて終わ
りでしたが、この時は着てみて興奮を得て、その先の行為につながったわけです。
もうその頃は、スリップ姿の女性に対する憧れも相当強くなっていました。自分の目で女性がスリップ姿になっているところを見たい。そういう女性とのSEXの想像もずいぶんするようになって来ていましたし、スリップ姿の女性がそばにいてくれる状況などの妄想が常に頭の中に渦巻いていました。そんな中で母のスリップではありますが、自ら着てみることでその状況を満足させていたような気もします。
最初の頃は、女性とのSEXが叶わないため、自分の欲望を満足させるための行為であったと思います。母のスリップも変わり映えがするわけでもなく、いつも同じようなスリップのローテーションですから飽きてきます。
そんな時に叔母のスリップを着てみる機会を得ました(これも以前紹介しましたが)。
叔母のスリップは母の物とは違い、薄いブルーで綺麗なデザインの物でした。そして、一日中着ていたであろう柔らかさと良い香りに包まれたスリップを手にして我慢出来ずに着てみた瞬間から、私にとってスリップは単に思春期の男の子が性的欲求を満足させるものから違う物へと変貌したのです。いわば、スリップフェチの誕生でしょうが。そこからは後ろめたさもありながら、倒錯の背徳感と美しさを追い求めるフェチの道をまっしぐらに進んだわけです。そこにCとの出会いは素晴らしいものになりました。彼女をスリップ好きにしていく事ができて、私の欲望を満足させてくれるわけです。それだけではなくてSEXの楽しみ、色々なプレーも一緒に楽しんでくれます。
やってないのはSMと人前でのSEXくらいでしょうか。
とにかく、彼女と一緒にスリップを着て過ごすことが出来る時間は素晴らしい物です。もちろん、今でもスリップを着るとゾクゾクする感じはありますが、Cの前ではかつて感じた背徳感のような物はありません。でも、目の前にスリップを美しく身につけた女性が居る喜びは最高です。
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